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第9課神道と日本人の宗教観

Posted on 2010-04-08 17:17  zhb6022  阅读(170)  评论(0编辑  收藏  举报

(だい)() 神道(しんとう)日本人(にほんじん)宗教観(しゅうきょうかん)

外国(がいこく)(ひと)たちにとって、日本人(にほんじん)宗教観(しゅうきょうかん)はとても理解(りかい)しがたく、奇異(きい)()えることが(おお)いらしい。()どもが()まれたら神社(じんじゃ)にお(まい)りし、結婚式(けっこんしき)キリスト(きりすと)(きょう)教会(きょうかい)()げ、()んだらお(てら)葬式(そうしき)()げるといったことは、キリスト(きょう)やイスラム(きょう)など、一神教(いっしんきょう)世界(せかい)()人々(ひとびと)には(しん)じられない現象(げんしょう)だからだ。

 朝日新聞(あさひしんぶん)が1995(ねん)(おこな)った調査(ちょうさ)では、個別(こべつ)宗教(しゅうきょう)(たい)する信仰(しんこう)は、仏教系(ぶっきょうけい)26%、神道系(しんとうけい)2%、神仏両方(しんぶつりょうほう)1%、キリスト教系(きょうけい)1%となっている。信仰(しんこう)をもっている人々(ひとびと)割合(わりあい)(やく)30%で、諸外国(しょがいこく)(くら)べてもかなり(ひく)いのである。 ところが日本(にほん)半数以上(はんすういじょう)家庭(かてい)(いえ)神棚(かみだな)仏壇(ぶつだん)(まつ)ってある。神棚(かみだな)仏壇(ぶつだん)(まつ)っているからには、信仰(しんこう)()っていてもいいはずなのだが、(じつ)(とう)日本人(にほんじん)には信仰(しんこう)をもっているという自覚(じかく)はないのである。

 日本(にほん)(ふる)民族信仰(みんぞくしんこう)は、「八百万(はっぴゃくまん)(かみ)」と()われるように自然崇拝(しぜんすうはい)多神教(たしんきょう)であり、太陽(たいよう)(つき)(うみ)(やま)(かわ)()、また(かみなり)(かぜ)などの自然物(しぜんぶつ)自然現象(しぜんげんしょう)などに神聖(しんせい)さや(おそ)れを(かん)じ、それを(かみ)として(うやま)うものであった。やがて水稲栽培(すいとうさいばい)普及(ふきゅう)とともに弥生期(やよいき)()り、氏族社会(しぞくしゃかい)移行(いこう)(はじ)める。そこでは氏族構成員(しぞくこうせいいん)がそのまま宗教集団(しゅうきょうしゅうだん)となって氏神(うじがみ)(まつ)り、災厄(さいやく)(まねか)れ、五穀豊穣(ごこくほうじょう)(いの)感謝(かんしゃ)する農耕儀礼(のうこうぎれい)(むす)びついた共同祭祀(きょうどうさいし)(おこな)われていた。豊作(ほうさく)(いの)(はる)祈念祭(きねんさい)と、(みの)りを感謝(かんしゃ)する(あき)収穫祭(しゅうかくさい)最大(さいだい)のものだが、それを(おこな)うのが神道(しんとう)であり、特定(とくてい)教義(きょうぎ)もなく、宗教というよりも、むしろ祭りだったのである。

 仏教(ぶっきょう)伝来(でんらい)し、奈良時代(ならじだい)には国家仏教政策(こっかぶっきょうせいさく)(すす)められたが、宮中(きゅうちゅう)においては、依然(いぜん)として仏事(ぶつじ)神事(しんじ)のどちらも(おこな)われていた。教義(きょうぎ)()たず、共同体(きょうどうたい)(くわ)わるものを(すべ)てを受容(じゅよう)する神道(しんとう)は、(ほとけ)(かみ)一人(ひとり)として()けいれたのであり、神社(じんじゃ)では神仏習合(しんぶつしゅうごう)(すす)められた。その(なが)いプロセスを(とお)して、日本人(にほんじん)脳裏(のうり)には、もっぱら人間(にんげん)(せい)にかかわる通過儀礼(つうかぎれい)()()つのが 神道(しんとう)人間(にんげん)()にかかわる通過儀礼(つうかぎれい)()()っているのが仏教(ぶっきょう)という()()けが()まれたと()うこともできる。日本人(にほんじん)にとっては、神道(しんとう)仏教(ぶっきょう)相互補完的(そうごほかんてき)なのものであり、あまりにも生活慣習(せいかつかんしゅう)密着(みっちゃく)しているために、宗教(しゅうきょう)とは意識(いしき)しにくいのである。

 しかし、外国(がいこく)(にん)正月(しょうがつ)初詣(はつもうで)光景(こうけい)()(おどろ)く。初詣客(はつもうできゃく)(もっと)(おお)東京(とうきょう)明治神宮(めいじじんぐう)には、正月三箇日(しょうがつさんがにち)に300万人(まんにん)()える人々(ひとびと)参拝(さんぱい)するが、イスラム教徒(きょうと)のメッカへの巡礼(じゅんれい)でも、それほど(おお)くの人間(にんげん)一度(いちど)(ひと)つの場所(ばしょ)(あつ)まることはない。日本人(にほんじん)には宗教行動(しゅうきょうこうどう)だという意識(いしき)はなくても、宗教施設(しゅうきょうしせつ)への参拝(さんぱい)は、外国(がいこく)(ひと)から()れば宗教行動(しゅうきょうこうどう)そのものなのである。

 こうして(おお)くの異国(いこく)神々(かみがみ)()()れてきた神道(しんとう)であったが、明治維新後(めいじいしんご)(おお)きく様変(さまが)わりすることになる。なぜなら明治政府(めいじせいふ)は、「万世一系(ばんせいいっけい)」の天皇(てんのう)頂点(ちょうてん)とする日本(にほん)支配体制(しはいたいせい)正当化(せいとうか)するために、天皇(てんのう)を「現人神(あらひとがみ)」とする国家神道(こっかかみみち)確立(かくりつ)しようとしたからである。全国(ぜんこく)廃仏毀釈運動(はいぶつきしゃくうんどう)()こし、学校(がっこう)でも天皇(てんのう)皇后(こうごう)肖像(しょうぞう)である「御真影(おしんえい)」への最敬礼(さいけいれい)教育勅語(きょういくちょくご)奉読(ほうどく)、「(きみ)()斉唱(せいしょう)などが義務(ぎむ)づけられた。この維新(いしん)から敗戦(はいせん)までの一時期(いちじき)は、日本(にほん)のような伝統的(でんとうてき)多神教社会(たしんきょうしゃかい)では、一神教(いっしんきょう)国民(こくみん)強制(きょうせい)された(きわ)めて異常(いじょう)一時期(いちじき)だったと()える。