幽灵谷

追求永无止境......
  博客园  :: 首页  :: 新随笔  :: 联系 :: 订阅 订阅  :: 管理

第8課茶の湯の心は

Posted on 2010-04-08 17:17  zhb6022  阅读(141)  评论(0编辑  收藏  举报

(だい)() (ちゃ)()(こころ)は「一期一会(いちごいちえ)

 (ちゃ)()というのは、亭主(ていしゅ)(きゃく)()()い、喫茶(きっさ)(かい)して(こころ)をかよわせることで、亭主(ていしゅ)空腹(くうふく)しのぎ程度(ていど)簡単(かんたん)料理(りょうり)()し、抹茶(まっちゃ)をたてて、もてなすところから(はじ)まりました。この(ちゃ)()は、茶会(ちゃかい)一生(いっしょう)一度(いちど)出会(であ)いの()ととらえ、相手(あいて)誠意(せいい)()くすという「一期一会(いちごいちえ)」の精神(せいしん)究極(きゅうきょく)姿(すがた)としています。

 唐代末(とうだいすえ)中国(ちゅうごく)では、飲茶(いんちゃ)習慣(しゅうかん)(ひろ)()(わた)っていましたが、日本(にほん)(つた)わったのは平安時代(へいあんじだい)で、飲茶(やむちゃ)はまだ寺院(じいん)儀礼的(ぎれいてき)なものにとどまっていました。その飲茶(いんちゃ)(ひろ)まったのは、鎌倉時代(かまくらじだい)禅僧栄西(ぜんそうえいさい)(1141~1215)が「喫茶養生記(きっさようじょうき)」を源実朝(みなもとのさねとも)(けん)じてからで、それ以後(いご)喫茶(きっさ)武家社会(ぶけしゃかい)(ひろ)まるのですが、当時(とうじ)薬用(やくよう)だったようです。このころのお(ちゃ)抹茶(まっちゃ)であり、茶筅(ちゃせん)でかきまぜて()む、挽茶(ひきちゃ)あるいは碾茶(ひちゃ)ともいう粉末(ふんまつ)にした緑茶(りょくちゃ)でした。この抹茶(まっちゃ)茶会(ちゃかい)(ちゃ)()へと発展(はってん)するのですが、抹茶(まっちゃ)中国(ちゅうごく)では宋代(そうだい)にのみ(おこな)われ、明代以降(あきよいこう)(すた)れてしまいましたから、(いま)では日本(にほん)にしか(のこ)っていません。

 (ちゃ)()織田信長(おだのぶなが)豊臣秀吉(とよとみひでよし)(つか)えた千利休(せんりきゅう)(1522~91)によって大成(たいせい)されますが、それは時間(じかん)(点前作法(てまえさほう))から空間(くうかん)(茶室(ちゃしつ)露地(つゆち))にわたるもので、(あら)たに楽茶碗(らくちゃわん)(たけ)花入(はない)れなどを(くわ)えた創造的(そうぞうてき)なものでした。利休(りきゅう)(ちゃ)()(こころ)は「わび」であり、「わび」とは(はる)()雪間(ゆきかん)(くさ)のように、清楚(せいそ)にたくましく()きようとする生命(せいめい)(つよ)さだと弟子(でし)(おし)えています。無駄(むだ)なく、ぎりぎりまで()りつめた極小(きょくしょう)茶室(ちゃしつ)土壁(どべい)(ゆか)におかれた青竹(あおだけ)花入(はない)れには()()きとした()(はな)清閑(せいかん)空間(くうかん)()りつめる生命感(せいめいかん)、そこには(ひと)をもてなす(あたた)かい心づかい、奢侈(しゃし)権威(けんい)不用(ふよう)とする思想(しそう)根底(こんてい)にあります。この権力者(けんりょくしゃ)()びない千利休(せんのりきゅう)言動(げんどう)は、(あと)秀吉(ひでよし)(いか)りを()い、利休(りきゅう)()(めい)じられ、自刃(じじん)して()くなります。しかし、この「わび」の精神(せいしん)(ちゃ)()のみならず、芭蕉(ばしょう)俳諧(はいかい)にも()()がれ、静寂(せいじゃく)観賞的(かんしょうてき)態度(たいど)物事(ものごと)観察(かんさつ)する「さび」の観念(かんねん)とも(むす)びついて、日本人(にほんじん)美意識(びいしき)にも(おお)きな影響(えいきょう)(あた)えることになります。

 (ちゃ)()(なら)んで日本(にほん)伝統芸術(でんとうげいじゅつ)とされるものに()(ばな)があります。山野(やまの)()(うつく)しい(くさ)(はな)()部屋(へや)(かざ)るという行為(こうい)は、(よう)東西(とうざい)()わず、(ふる)くからあらゆる民族に()られる人間(にんげん)自然(しぜん)行為(こうい)です。しかし、それが日本(にほん)において、()(ばな)という独自(どくじ)文化(ぶんか)として発展(はってん)したのは、西洋(せいよう)のように(はな)を「(さか)る」「(かざ)る」のではなく、「生(活)ける」という(かんが)(かた)()つからでしょう。千利休(せんのりきゅう)は、「(ばな)()()くように」と()いましたが、この(はな)()にあるそのままが()しいのだから、(かざ)()てるのではなく、()にあるがままに()れるのがよいという(かんが)えは、()(ばな)精神(せいしん)にも(つう)じるのです。一言(ひとこと)()えば、「草木(くさき)()生命力(せいめいりょく)とその()()かす」ことが「生(活)ける」であり、植物(しょくぶつ)(かい)して、その彼方(かなた)にある自然(しぜん)(うやま)(こころ)をもつことが()(ばな)(こころ)なのです。

 このように(ちゃ)()にせよ、()(ばな)にせよ、その(そこ)(なが)れるのは世俗(せぞく)名利(みょうり)欲望(よくぼう)から(はな)れ、自然(しぜん)(うやま)い、自然(しぜん)(とも)()きようとする(こころ)であり、だからこそ芸術(げいじゅつ)(いき)(たっ)したのかもしれません。

 これらは江戸時代(えどじだい)には儒教(じゅきょう)影響(えいきょう)で「(いえ)」や「(どう)」の思想(しそう)(むす)びつき、流派(りゅうは)ごとに()かれ、師匠(ししょう)門弟(もんてい)組織(そしき)される家元制度(いえもとせいど)移行(いこう)していくことになりました。それにしたがって、(ちゃ)()は「茶道(さどう)」、()(ばな)は「()()(どう)」という呼称(こしょう)使(つか)われるようになりました。